クリオネの話

一人暮らしの家に癒しの空間を求めて、クリオネを飼っている。

普通の人は熱帯魚を飼うのだが、珍しいものがいいとクリオネをチョイスした。

とにかく見た目が小さくて可愛い。

水槽の中をクルクルと回っている。

やっぱり可愛い。

仕事終わりに癒されたくて毎日足早に帰宅している。


そんな癒しの家で、最近少し不可解なことがある。

部屋の中にストックで置いていたはずのトイレットペーパーが、朝出発してから帰宅するまでに毎日数ロールずつ減っている。

トイレにも予備のロールを置いてあるので、

寝ぼけていても部屋からロールを持っていくことはない。

いや、そういう問題ではないな。

無人の部屋からトイレットペーパーが無くなるということは、誰かが勝手に入ってきて、毎日数ロールずつ盗んでいるということじゃないか。


現金等貴重品は一切盗られてないし、貴重であろうクリオネもずっと水槽ごと場所も変わっていない。

盗難ではないが、誰かが侵入した可能性は濃厚だ。

警察に相談したが、誰が犯人かわからないし、逮捕するには材料が足らなさすぎる。


逮捕してほしくて、防犯カメラを購入して部屋の隅に設置することにした。

仕事に行って帰宅するまでを撮影しておき、帰宅してすぐ確認して通報の材料を集められればいい。


一体どんな映像が見られるのだろう。

仕事を済ませてそそくさと帰路につく。

ドキドキしながらドアを開けると、想定外の光景が広がっていた。


部屋のストックのトイレットペーパー一式が見当たらない。

さらに身に覚えのない大きなラミネート用の機械と付属のフィルム、小さなホッチキスとハサミが床に転がっている

その上、納品書がそれらの横に添えてあって訳がわからない。

なぜかラミネートの機械にはまだ温もりが残っていた。


それに加え、理解出来ないことがもう一つあった。

クリオネの水槽の中にトイレットペーパーが浮いている。

トイレットペーパーの一部はこんなところで発見。

でも一切溶けていない。

よく見てみるとラミネート加工がされている。

そのラミネートの端と端はホッチキスで留められていて、カバン型に成型されていた。


トイレットペーパーのカバンをクリオネが持っている。


頭の中が整理出来ないままだったが、ひとまず撮れた映像を確認することにした。


自分が家を出て30分後の映像。

出てきたのは知らない男。

いきなり侵入者を発見。

ドア側からゆっくり堂々と入ってきた。

そして、部屋に入りクリオネの水槽を見つけると、慣れたように笑顔で手を振った。

新参ではなく、デイリーの侵入者だったようだ。

オートロックのマンションのはずなのに、セキュリティがボロボロじゃないか。

クリオネも手を振られて、嬉しそうにクルクル回っている。

しかも見たことのないぐらい回転数が多かった。

侵入者の方が飼い主より愛されている。


嫉妬を続けていると、男が印鑑を持って玄関の方へ歩いていった。

部屋に戻ってきた男は大きな箱を抱えていた。

クリオネに向かって微笑みつつ箱を開けると、ラミネートの機械が出てきた。

クリオネは嬉しそうにクルクル回っていた。

おそらくクリオネのリクエストだったのだろう。


...残念ながら映像はそこで途切れてしまっていた。

初めてのカメラの調子を伺わずに使ってしまった自分を悔やんだ。


ラミネートの機械、クリオネのカバン、気になったことが一つも撮れていない。

「誰か見てた人いないかな?」

心の声が漏れたようだ。

静かに浮いていたクリオネが、何か言いたげな様子でクルクル回り始めた。

そうか、状況はその場にいた人に聞くのが一番早い。

でも相手はクリオネ、コミュニケーションの術がない。


悩んでいる間に、クリオネは水槽の中央からガラスの方に前のめりに向かっていった。

何かを指差している。

前方にあるもの...

電源が入りっぱなしの自分のパソコンが目に入った。


パスワードを入れてロックを解除すると、新規のワードファイルが既に開いていた。

開いたのを確認したクリオネから、いきなり触手が出てきた。

捕食のときに出てくるあれだ。

いきなりで驚きつつ確認したら、触手がAの形になっていた。

二度の驚き。

驚いている間も、触手の形はどんどん変わっていく。

「A」「N」「O」「N」「E」


頭は回らないが、今見えたアルファベットをとりあえずキーボードで順番に打ち込んでみた。

「あのね」と出てきた。

触手でコミュニケーションを取ろうとしている。

次々と出てくるアルファベットの触手。

文章が出来上がっていく。

これでコミュニケーションが取れるぞ。

驚きから冷静さを取り戻した。


クリオネの言葉を打ち込み、口頭で相づちを打っていく。

以下のようなやりとりをした。


あのね


「どうしたの?」


人間はカバンを持っている

クリオネにはないのに

クリオネもカバンが欲しい

カバンがないなら作っちゃえ

そうだ目の前にトイレットペーパーがある

あれでカバンができるかもしれない

欲しいけど外だ

人が来た

ペーパーを取って欲しい

おねだりしよう


「カバンが欲しかったの?売ってるかどうかはわからないけど、言ってくれたら買ってあげるのに。今日来てた人におねだりしたの?」


うん

先週からずっと来てたし


「長期間の侵入者だね。それでどうおねだりしたの?」


取って欲しいペーパーが目の前にあるから

そこに向かってまっすぐ進んだらペーパーを取ってくれた

勘がいい人


「勘がいい人というより、昔お喋りなクリオネを飼ってたとかそういうことじゃない?続き教えて。」


少しだけ切って手渡しでくれた

でも手元には届かなかった

何百回何千回やっても届かなかった

ペーパーだけだと溶けちゃうなって

その人が言ってた

カバンは溶けちゃ嫌だ

だから歩きながらたくさん考えたんだ

そしたらいいことを思いついた

ラミネートしたらいいんだ

そうすれば溶けない


「だからトイレットペーパーはたくさん消えてしまってたんだね。その人も普段使ってるんだし、一回で気づいてくれたらいいのに。っていうかラミネートなんてどこで知ったの?」


ずっと前に来てた知らない人に教えてもらっちゃった


「この家には侵入者が交代で来てたんだね」


いいこと思いついて嬉しくて

ついついお願いしちゃった

ペーパーをラミネートしてって

そのラミネートがカバンの形してたらいいな

小さいカバンちょうだいって

すぐにやってくれたよ


ラミネートのカバンを作ってくれたってのはいいんだけど、そういやラミネートの機械ってどうやって買ったの?」


昨日ネット通販で買ってもらった

こないだ引き出しにカード入れてるの見た

それで安いのでもいいから買ってって頼んだ


「人のカードを勝手に使った上に妥協したんだね。知らない納品書に自分の名前が載っててびっくりしたよ。絶対に次はやらないでね。」


ごめんね

でも欲しいものはすぐ買えちゃうし通販はやっぱり便利

中に荷物入れたいから

平べったいカバンはダメ

ホッチキスとハサミも買ったよ

それ全部使ってこのカバンを作ってもらったんだ


「そうやってカバンを作ってもらったんだね。でもなんでカバンが欲しかったの?」


ご飯食べに行く


「そういや餌はあげてるけど、食べてるところ一度も見たことないな。どこに食べに行くの?」


水族館

そこに友だちがいるから一緒に食べる


「もしかして水族館とこの家を掛け持ちしてるの?」


ううん

掛け持ちじゃない

ご飯食べる姿が衝撃的だって

いろんなところで言われてるから

水族館に入って見えないところで食べてる

友だちにも会えるしそっちの方がいい


「家から水族館まで電車でも30分ぐらいあるよ?どうやって行ってるの?」


教えない

教えちゃダメってルールがあるの


「教えちゃダメって誰から言われてるの?」


それも言えない

言っちゃうと飼い主の人が大変な目に遭っちゃう

大変な目に遭ってほしくない


「どうしてもダメ?」


うん

どうしても

ほら朝が来ちゃう

また明日も同じ人が来ちゃうし

どんな人か会わないとでしょ


「ダメなのか...」

気づけば時計が朝の5時を指していた。

仕事帰りのオールはさすがに体がヘトヘトだ。

今日休みでよかったと思ったところでそのまま眠ってしまった。


起きたら12時をすぎていた。

水槽にいたはずのクリオネは不在だった。

水族館にでも出かけているのだろう。

そう思いながら床でゴロゴロしていた。


すると急に玄関の戸が開いた。

侵入者だ。

部屋に入ってきたのは昨日映像に映っていた男。

住人との鉢合わせに驚いた様子だったが、男が持ってきたものを見てこちらが驚いてしまった。

触手でAの字を作ったクリオネ

アルファベットを知ってるクリオネ、まさしく自分が飼ってるクリオネだ。

知ってるクリオネが知らない男と一緒にいる。


男は、「あなたがこのクリオネの飼い主なんですか?」と聞いてきた。

「えぇ、まあそうですけど。」 毅然とした態度で返事をする。

「ちょうどよかった。私は水族館のオーナーをしています。飼い主さんにお願いしたいことがあったんです。」

「なんでしょう?」

「このクリオネを手放してもらいたいんです。水族館で高く買い取りますから。」

「はあ!?絶対に嫌です!こんなに可愛くて賢いクリオネはいないし、なんてったって私の大事な家族ですから売るなんてこと、絶対にしません。」

「そうですか... そしたら私にも考えがあります。あなたがクリオネに聞きたがっていた、家と水族館をこのクリオネはどうやって行き来していたかが今わかりますから。」

「どうしてこの家でのやりとりを知っているんですか?」


クリオネが何か言いたそうにしていた。

男が「どうぞ。」と言ったので、キーボードに打ち込んでいくことにした。

 

 

ごめんね

この家に来るずっと前からこの人に狙われてて

怖かったけど家に迷惑をかけたくないから言えなかった

この家の水槽と水族館は長いパイプで繋がってて

水族館にあるスイッチ一つで

家にいても簡単に水族館まで吸い込まれちゃう

この人が言ったんだ

飼い主が家にいるときだけ家に返してあげる

それ以外はずっと水族館にいなさい

もしスイッチのこととかを飼い主に話すと家には帰さない

でもいずれはバレるだろうし

そのときは飼い主に挨拶が出来なくなっちゃうから

荷物をまとめて準備しておきなさいって

嫌だったけどそうするしかないんだって

カバンに荷物を入れて持っていこうとした

昨日がちょうどカバンの準備の日だったんだ

そこでおかしいと思ってお話ししてくれたでしょ

だから連れて行かれそうになってるんだ

でも離れるのは嫌だ


「私も絶対に嫌!辛かったよね。辛い思いをさせてごめんね。」

クリオネの話で胸がいっぱいになってしまった。


一連のやりとりを見た後に男が「じゃあそういうことなので。」と言ってクリオネを連れていく。

「絶対ダメ!」と言ったが、男は聞く耳を持たず玄関に向かおうとする。

男が玄関を出ようとしたときに警察が来た。


男はびっくりしている様子だった。

私は緊張が一気に解けた。

以前警察に相談したときに電話番号と住所を教えていて、無言電話になってもその番号からかかって来たら教えてもらった住所に助けに行くと約束してくれていた。

事前に相談していて本当によかった。


男が家に入ってきたときには既に警察に電話をかけていた。

だから怖かったけど、もうすぐ警察が来るという安心感もあった。


男が連行されていく。

男と一緒に警察も帰っていった。


クリオネが、


助けてくれてありがとう

ずっと一緒にいようね


とメッセージをくれた。

とても嬉しかった。


「こちらこそ、いろいろと教えてくれてありがとう。ずっと一緒にようね。でも、もう知らない人が来ても相手しちゃダメだよ。カードで買い物なんてもっとダメだからね。」


それ以後は、クリオネがどこかに行くことも、不在時に物が散らかっていることもなくなった。

家にまた平和が訪れたようだ。

クリオネとのコミュニケーションも以前より断然多くなり、家に帰るのがより楽しみとなった。


クリオネとの幸せな日々はこれからも続いていく。

クリオネらしいコミュニケーションとともに。